2024年 03月 17日
Hさん、ありがとうございました。 |
3月14日の朝、電話がある
3月5日に、電話で話したばかりだったのに いつもの、明るい声だったのに。
2003年くらいから この場所に通って、猫の写真を撮ってました、 僕はたまに、猫に撮らせてくれたお礼に少しだけご飯をあげる程度 でした。
Hさんは 毎週金曜日に、たくさんの栄養のあるフードを 作って持ってこられていた。
そのころは20匹くらいの栄養状態の悪い猫が多かったです 子猫が生まれても、冬を越せる子猫はほぼいませんでした。
猫が寒いだろうからと 廃材とか、タイヤとかで 海沿いに猫のための小屋を建てられました。
市役所から 撤去してくださいと 看板がたちました。
市役所と保健所に 状況を説明しに行ったら 「近所の人から、また捨て猫されて、猫が増えると困る」 と苦情があったとのこと。
それから、Hさんは猫のご飯を 僕は猫が増えないように 避妊、去勢手術をするようになりました。
捨て猫には大変困りました。 捨て猫禁止の看板を 保健所の作ってのもらったり 交番に巡回してもらうようお願いしたり 周辺の猫が産んだ猫が捨てられないように チラシ配布したり 捨て猫した人の車を追跡したりと 苦労しました。
金曜日の夕方 ご飯をたくさんもってきた Hさんは 僕にためにも パンとかコーヒーとかも 持ってきてくれて 夕日を見ながら 雑談をよくしました。
「ここには、ボラ釣りにきたら 釣った魚を持って行った猫がいて お腹空いてるだろうと週に1度 ご飯やりに通うようになった」
「今年は捨て猫なかったですね」と 話してた次の週に 捨て猫があったこともあり
『捨て猫、なかったですね』は禁句としてました。
餌やりしてると
「〇〇の息子ですが、昨日、父が亡くなったので
会いにきてもらえば、喜ぶと思います」
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by nekodays1025
| 2024-03-17 12:03
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